自由について考える

「自由」という言葉を聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。

束縛からの解放。何もしなくていい時間。誰にも邪魔されない状態。
人によってイメージは様々だと思います。

私にとって自由とは、「選択できること」です。
もう少し正確に言えば、「思い通りにできること」。

これは私の定義です。
この言葉について考えていたら、いくつか気づいたので、書き留めておきたいと思います。

「思い通りにできる」ということ

仕事でも、休日の過ごし方でも、人間関係でも、住む場所でも。
自分で決めて、その通りに行動できる。それが自由です。

では、「思い通りにならない」時は何が起きているのでしょうか。

最初は外部の要因に目が行きます。
誰かに邪魔された。環境が悪い。条件が揃わなかった。お金が無かった。

確かにそういうこともあります。
でも、外部の要因を一つずつ排除していくと、残るものがあります。

実は、真の障害は自分自身にあることが多いのです。

外部要因の向こう側にあるもの

外部要因については、なぜそうなっているのか原因を考えて対処すればよいのです。
問題は、それを片付けた後に見えてくるものです。

自分の能力が足りなかった。
認識が甘かった。
思っていたほど実力がなかった。

最終的に「思い通りにならない」本当の原因は、外部ではなく内部にあるのです。
そう気づくまでに、時間がかかりました。

だから、力をつけることは自由を広げることだと思っています。
能力が上がれば選択肢が増える。できることが増える。思い通りにできる範囲が広がる。
世界を理解して、行動できる力をつけることです。

「思い」はどこから来るのか

「思い通りにできる」の「思い」は、どこから来るのでしょうか。

環境の影響もあるでしょう。育ち、文化、経験。
でも、遺伝的な要因も大きいように思います。

何かをしたいと思う傾向、何に惹かれるか、どんな選択をしやすいか。
それらは生まれ持った部分が大きいのではないでしょうか。

では、「思い」自体が遺伝的に規定されているなら、それでも自由と言えるのでしょうか。

私は言えると思います。

私の自由の定義は「思い通りにできること」です。
思いがあるなら、それを実現できれば自由は成立します。
その思いがどこから来たかは、定義に影響しません。

規定されていても、それは私自身です。

エンハンスされるということ

思い通りにできる。それが自由だとすると、その先には何があるのでしょうか。

他者との関わりによって、思っていた以上の結果が得られることがあります。
友人との協働、チームでの仕事、誰かとの対話。

自分一人では到達できなかった場所に、一緒に行ける。
これを私は「エンハンスされた」状態だと感じています。

自由の上位形態、というわけではありません。
でも、自由と近いところにある概念だと思います。

自分の能力と他者の能力が組み合わさって、より良い結果が生まれる。
その経験は、自分を定義づけるものになります。

心の障害を超える

結局、思い通りにならない真の原因は、内側にあることが多いです。
実力不足、認識の甘さ、見えていなかったもの。

でも、その内なる障害は、人との関わりによって超えられることがあります。

一人では気づけなかったことに気づく。
一人では到達できなかった場所に行ける。
一人では得られなかった視点を得る。

自由とは思い通りにできること。
そして、他者との関わりによって、その「思い」自体が広がり、深まることもあります。

これが今の私の考えです。
数年後には変わっているかもしれません。
それもまた、自由ということなのでしょう。