ブログシステムの設定画面 - Markdownで書かれた指示書の一部

今日はブログの裏側を改修していました。

カテゴリを7つに再編成して、記事を書くときに関連する過去記事を自動で調べられる仕組みを追加して、既存の100記事以上のカテゴリ名を一括で変更して。
地味な作業ですが、ここで面白いことに気づきました。

僕自身がMarkdownになっていく

以前の記事で、このブログがClaude Codeとの協働で成り立っていることを書きました。
Google PhotosのURLを渡すだけで、画像の処理から記事の執筆、公開まで自動で進む仕組みです。

このシステムを運用しながら、少しずつ「指示書」を書き足してきました。
文体ガイド、カテゴリの判断基準、タイトルの命名規則、画像の扱い方。
「どう書いてほしいか」を言葉にして、Markdownファイルとして保存する。

やっていて気づいたのですが、これは僕自身を言語化しているのです。

「旅行記と日常の外出は分けたい」「海の活動と釣りは一緒でいい」「大げさな表現は使わないでほしい」。
こういう判断基準は、もともと僕の頭の中にありました。
でも明文化されていなかった。誰かに伝える必要がなかったからです。

それが今、AIに伝えるために言葉になっています。
僕の好み、判断の軸、文章に対する美意識が、一つ一つMarkdownの指示書として書き出されていく。
まるで自分自身がドキュメント化されていくような感覚です。

言語化されると実行できる

ここで面白いことが起きています。

これまで、自然言語で何かを書いても、それは「読んで楽しむもの」でした。
小説を書いても、エッセイを書いても、マニュアルを書いても、最終的に実行するのは人間です。
言語は伝達の手段であって、実行の手段ではなかった。

ところがAIの登場で、状況が変わりました。

「カテゴリは活動の種類で判断して、出かけた記事は距離感で旅と日常を分けてください」

こう書いておけば、AIはその通りに判断します。
言語化されたものが、そのまま実行される。
自然言語がプログラミング言語のような役割を果たし始めているのです。

今日の改修がまさにそうでした。
カテゴリのフローチャートを日本語で書き直し、関連記事の調査手順を文章で定義し、リンクの張り方のルールを言葉で指定する。
これらは全て日本語のMarkdownです。
コードを一行も書いていないのに、AIの振る舞いが変わります。

でも言語化は難しい

ただし、これには重要な「かもしれない」がつきます。

「言語化されていれば実行できるかもしれない」。
まだ「かもしれない」なのは、適切に言語化するということ自体が非常に難しいからです。

自然言語は本来、曖昧なものです。
同じ言葉でも文脈によって意味が変わるし、人によって解釈が違う。
だから「なんでも完璧に言語化できる」とは思いません。

でも、目的を絞れば話は変わります。

今回のカテゴリ再編がいい例です。
「この記事は旅なのか、日常なのか」。
この問いに対して「あらゆる状況で完璧に判断できる基準」を言語化するのは不可能に近い。
でも「このブログのカテゴリ分けという目的」に限定すれば、「片道3時間以上が目安」「泊まりがけなら旅」という基準で十分に機能します。

つまり、特定の目的に対して「よい言語化」があるのだと思います。
万能な言語化は無理でも、目的を明確にすれば、その目的にとって適切な言語化ができる。

AIに自分を分析してもらった記事で、「多趣味だけど軸がある」という指摘を受けたとき、それは自分では言語化できていなかった部分でした。
でもそれは「言語化不可能」だったのではなく、「その目的で言語化しようとしたことがなかった」だけかもしれません。
目的が与えられれば、意外と言葉にできるものです。

最終的な成果物は言語である

AIの創造性について書いた記事で、思考は言葉の組み合わせではないかと書きました。
その考えは今も変わっていません。

そして今回、もう一つ気づいたことがあります。
最終的な成果物も、多くの場合は言語だということです。

プログラムのコードは言語です。
ブログの記事は言語です。
仕様書、マニュアル、メール、企画書、すべて言語です。

つまり、「どう考えているか」を適切に言語化できれば、「何を作りたいか」も言語化できる可能性がある。
そして言語化できたものは、AIが実行できるかもしれない。

今日のブログ改修は、まさにその実験でした。
「カテゴリをこう整理したい」「関連記事をこう調べてほしい」という僕の頭の中にあった構想を言葉にして、AIが実行した。
結果として、100記事以上のカテゴリが一括で変更され、新しい仕組みが動き始めました。

AIを組み込んだシステムの可能性

このブログシステムは、小さな実験です。
でも、ここで起きていることは、もっと大きな可能性を示唆していると思います。

自然言語で指示を書けば、AIがそれを実行する。
指示の精度が上がれば、実行の精度も上がる。
つまり、人間が「適切に言語化する力」を磨けば、AIとの協働はもっとうまくいく。

プログラミング言語を覚える必要はないかもしれません。
でも「何をどう言葉にするか」という能力は、これまで以上に重要になるのではないでしょうか。

考えてみれば、人間のコミュニケーションも同じです。
「言いたいことがうまく伝わらない」という問題は、古くからあります。
その問題が、AIとの対話でもそのまま現れているだけかもしれません。

言語化の技術。
これがAI時代の鍵になるのではないかと、ブログのカテゴリを整理しながら考えていました。