かつて、何かを作りたいと思ったとき、最初の壁はスキルでした。
絵を描きたければデッサンを学び、アプリを作りたければプログラミングを覚え、音楽を作りたければ楽器を練習する。
「こういうものを作りたい」という願いがあっても、それを形にする技術がなければ、願いは願いのまま止まっていました。
AIの登場で、この壁が急速に低くなっています。
以前の記事で、想像通りのアプリが数時間で形になる体験について書きました。
実行のコストが下がっている。これは確かにすごいことです。
でも最近、もっと面白いことが起きていると感じています。
願いが叶うだけではない¶
AIを使って何かを作っていると、不思議なことが起きます。
最初に思っていたものとは違うものができあがるのです。
違うといっても、失敗したわけではありません。
作っている途中でAIと対話しながら、自分でも考えていなかった方向に展開していきます。
「こっちの方が面白いかもしれない」「この組み合わせは思いつかなかった」。
そうやって、当初の願いとは少し違う、でもそれより良いものが生まれることがあります。
つまり、AIは既にある願いを叶えるだけではありません。
対話を通じて、新しい願いを生んでいるのです。
創作の領域で起きていること¶
この変化は、創作の領域で特に顕著だと感じています。
AIの創造性について書いた記事で、思考は言葉の組み合わせではないかと書きました。
そして言語化について書いた記事では、言語化されたものはAIが実行できる時代になったと書きました。
この二つを合わせると、こうなります。
創作のボトルネックが変わりました。
以前はスキルがボトルネックでした。描く力、書く力、作る力。それがなければ始まりませんでした。
今は「何を作りたいか」というビジョンそのものがボトルネックになりつつあります。
でも、ここが面白いところなのですが、そのビジョンすら最初から完成している必要がないのです。
AIと対話しながら作っていく中で、ビジョン自体が育っていきます。
漠然と「何か作りたい」から始めて、会話のキャッチボールの中で、だんだん輪郭が見えてきます。
「こういうことがやりたかったのか」と、自分の願いに自分で気づく瞬間があります。
本を読むこと、人と話すこと、AIと対話すること¶
考えてみれば、似たようなことは昔からありました。
いい本を読むと、自分の中になかった視点が加わります。
面白い人と話すと、自分一人では到達できなかった考えにたどり着きます。
「こんなことを考えていたのか」と、他者との関わりの中で自分を発見します。
AIとの対話も、構造としては同じだと思います。
AIに自分を分析してもらった記事で、ブログの全記事をAIに読ませたら「多趣味だけど軸がある」と指摘されました。
自分では言語化できていなかった自分の特徴を、AIが言葉にしました。
あれは「AIが何かを教えてくれた」のではなく、「AIとの対話を通じて、自分自身が発見された」体験でした。
人間が拡張されている¶
ここまで書いてきて、言いたいことが見えてきました。
AIによって起きているのは、「便利な道具を手に入れた」ということではありません。
人間自身が拡張されているのだと思います。
道具は、人間が既に持っているものを延長します。
足で歩ける距離を車が延ばし、手で書ける量をパソコンが延ばします。
でもそれは「できること」の拡張であって、「やりたいこと」は人間が自分で持っている必要がありました。
AIとの対話は、その「やりたいこと」の部分を拡張しています。
今まで持てなかった願いを持てるようになります。
考えたことのなかった方向に思考が展開していきます。
自分でも気づいていなかった自分自身の輪郭が、はっきりしてきます。
願いが生まれる場所¶
今日、ESP32という小さなマイコンチップに興味を持って、AIと一緒に調べていました。
なんかかっこいいダッシュボードが作れそうだな、というくらいの漠然とした興味が入り口です。
純粋に技術的な話をしていたはずが、気づけば「機械と人間の関係はどう変わるのか」「願いとは何か」という話になっていました。
最初からこのエッセイを書こうと思っていたわけではありません。
対話の中で、自然とここにたどり着きました。
こういう体験が積み重なって、一つの確信になりつつあります。
願いは、自分の中だけから生まれるものではありません。
対話の中で、他者との関わりの中で、そしてAIとのやりとりの中で生まれてくるものです。
ただ、願いの源はどこにあるのかと考えると、やはり体なのだと思います。
「これが気になる」「なんか面白い」という感覚は、体から来ています。
脳も体の一部です。
好奇心も、退屈も、心地よさも、すべて体が発しているものです。
でも、体が発する欲求は、そのままでは漠然としています。
「なんとなく気になる」は、まだ願いではありません。
それがAIとの対話で言語化されたとき、初めて形を持ちます。
漠然とした興味が言葉になり、言葉が具体的な構想になり、構想が作品になる。
体の欲求が言語化されることで、何かが作り出されていく。
僕にとっての「願いが生まれる場所」は、体が発した欲求と、AIとの対話が出会うところにあるようです。